ことばにした瞬間に、思っていることからズレていく・・・
近頃はそういう風に思う瞬間があります。
それでも、人はことばを発し、伝えようとする、その繰り返し。
なので、めげずにことばにしてみます。
「芸工展の歩き方」というと、何か方法論的な話のように聞こえてしまいますが、
そうではありません。
先日「谷根千を一歩深く味わいたいあなたへ、芸工展。」というフレーズを発しました。
そのことばはなんとなくキャッチーになりすぎたかな、と思います。
なので、今回はその「一歩深く」という部分をもう少し丁寧にお伝えしたいと思います。
確かに芸工展を歩くと、「一歩深まる」瞬間が訪れます。
でもその、深まる「一歩」って、どんな歩みでしょうか。
「ああ、こんな道に新しいお店があったのか」とか、
「入ったことなかったけど、この店ではこんな品物があるのか」とか、
そういう発見もあるかもしれません。
でもそうした「形式的な情報」の発見だけではないはずです。
たとえば、私が思い描く一歩は・・・
・聞こえてくる楽しい会話 ・線香の香り ・寺の門越しに広がるやさしい青
・お稽古横丁に静かに響く三味線の音 ・マップの紙の手触り ・風に舞う赤い手ぬぐい
・作家さんが制作に込めた想いを語る嬉し・恥ずかしの表情
・老舗のおせんべいやさんの「いつも、どうもね」といって、にこっと笑う仕草 e,t,c,
そういった、なんでもない日常の延長で少し温かみを感じる一瞬の連続です。
芸工展を通してまちを思い浮かべると、
それらのイメージがいくつも重なり合って、浮かんでくるんです。
一言で表すとなら「体感から得た具象の訪れ」といったところでしょうか。
(なんだか難しくなってしまいました)
きっと。「情報を単に知っていること」には、本来大きな意味はないはずです。
すべては自分自身の「体感」からしか生まれません。
なのでぜひ、まちを歩きにいらしてください。
そして、芸工展ガイドマップを片手に、まちと。そしてまちの人たちと。
出会ってください。
(※つまり、芸工展の歩き方とは、そうした実際にまちを歩くからこそ得られる
「体感」や「出会い」を楽しもうという心持ちを 備えること、なんですね)
芸工展会期も残り7日間。素敵な瞬間がみなさまに。数多く訪れますように。
(10年間、盛岡から芸工展へ訪れ続けているという女性との出会いに感謝して)